めぐろと飛ぶ人
めぐろのブログで「めぐろぐ」なんていいかも。最近モブログとかはやりらしいですから。
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幸せの定義
写真の課題の評価が返ってきました。最悪です。まあ、評価はからいけど、まだまだこれからなのでがんばって精進していきたいと思います。

そういえばこのまえ、ちょっとしたことがきっかけで、「幸せってなんだろう」ってまるで細木かずこの番組名みたいなこと考えてしまいました。
幸せってきっと誰もが今持っているものなのに、それを「ああ、自分て幸せだなあ」って体感できるかできないかは、自分次第な気がします。つまり別に幸せじゃないって思ってるひとは、今の幸せって状況に気づいてないだけってこと。
きっと幸せって大きなものじゃなくて、ほんの小さな些細なことからでも感じれるものだと思う。たとえばちょっとした人の親切に触れたときとか、今こうして夕方の日差しに照らされてぽかぽかしてられる感覚とか、そういった何気ない日常生活のなかにたくさんあると思います。
でも1年くらい前までめぐろは、そういった日常の小さな幸せを、それはそれで幸せと思いつつ、でもいつもどこか満たされなくて、もっと大きな天国みたいな感覚を求めていたきがします。ザ、欲しがりすぎ症候群です。
何をしても満たされなかったし、「ここが悪いからだ」と理由を決めてはそれを改善してみる、でも結局満たされない感覚は同じ。そんな気分の繰り返しでした。そして満たされないから自然と文句が多くなる。文句ばっかり言っているひとは、欲しがり過ぎ症候群の可能性があります。自分の設定した「幸せ」っていう定義または感覚のハードルが高すぎて、身の回りにあふれていたはずの小さな幸せたちに鈍感になっているのです。
でも結局そんな天国みたいな場所はどこへ行っても、何をしても存在しません。
結局「青い鳥」じゃないけど、幸せはどこに探しに行ったって見つかるものじゃないみたいです。もっと近くに自分のすぐそばにいつも存在しているとおもいます。

ここ1年くらい、めぐろは自分のしたいことばっかりやらせてもらえる環境におかれて、ものすごく充実した日々をすごせました。ゼミの映像制作とか、今デザイン勉強してることとかね。その他にももちろんたっくさんあるけど。その過程ではもちろん辛いこともあって、たくさん努力をしてきたけど、振り返ってみれば好きなことのための努力と苦労は、楽しさの一部でもあったようにも思えます。
それまでは、やりたいことがあっても、できる環境を誰かのせいで奪われてしまったからって難癖をつけては、もうできないってあきらめてました。
それから紆余曲折を経て、約1年前の好きなことばっかやり始めたスタートラインに立つわけですが、それ以来、好きなことをして満たされているから幸せで、それまではそれができなかったから満たされずに幸せを感じれなかったのか???というと、そう単純にも言い切れません。
それまで長い間漠然とした夢だけ持って、具体的に何もしなかったのは、もちろん誰かのせいじゃなくて自分のせいです。そのときだって、身の回りに小さな幸せはたくさんありふれていたはずだし、きっかけだってあったはずなのに、大きな夢ばかり見すぎて見失っていたんだと思います。
結局何が言いたいのかというと、先も書いたように、幸せはどこに探しに行ったって見つかるものじゃなく、もっと近くに自分のすぐそばにいつも存在しているものだっていうこと。そしてそれを体感できるかできないかは自分次第だということ。このことに気づかされたある人の一言にものすごーく感謝しています。
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